ちょっと真剣に資産運用等考えているときにふと、
あれ、一番投資対効果(ROI)良いの友情じゃね?
と思い至ったやまだです。皆さんどうもこんにちは。
いや、綺麗事がどうこうではなくてですね、ある程度リアルに見える化もできるかなーっと思い至ってですね、書き殴ってみました。
一旦、「友情」の短期的効果、長期的効果等にまとめたので、よければ読んでやってください。
※ちなみに二番目にROI良いのは本かなーって思っている。異論は認める。
1 はじめに
投資対効果(ROI)を論じる前に、
「じゃあ何を持って友情というのか」
について考えを吐き出しておきたいと思う。
※この辺は「いやわかるし」って人には完全に無駄な議論なので読み飛ばし推奨です。
まず、大きく分けて客観説と主観説に分かれる。
客観説だと、特定の行為の発露を持って「友情」というものを推測することになる。
たとえば、「お金を貸してくれ」と言って、何も言わずに貸してくれた場合、その人と自分の間に友情はあるということにする、ということだ。
ただ、この考え方だと、発露した行動の真意というところに思いを馳せることができず、「友情という心の状態を完全に客観で測るとは何事か」というような反論が想像される。
では、反対に主観説だとどうだろうか。
これはたとえば、「俺とあいつとの間には友情がある」と自分自身確信できれば、その瞬間に自分とその人の間に「友情」はあるのである。
これには、「友情という一人では成り立たない関係を一方の心の中のみで決めるのはいかがなものか」との反論が考えられる。
ふむ、さてどう考えるか。
やまだとしては、主観説が妥当ではないかと考えている。
なぜなら、仮に客観説に立ったとしても、相手が本当に抱いている感情を正確に推測することは出来ないからだ。
客観説の本質的な弱点は、「特定の行動を取るのはこのような心理状態によるものだ」という経験則に基づかざるをえないところである。
であるならば、そもそも相手方の気持ちは関係なく、本人の気持ちのみで「友情」を定義したとしても大差ない。程度の差に過ぎないのである。
また、「友情を関係性で理解しないのか?」についても同様に、自分以外の人の本当の気持ちがわからない以上、全ての人間関係も自分が思い描いているとおりに見ているにすぎず、もう仕方ない。
つまり、
「俺とあいつとの間には友情がある」
と思ったら「友情」はあるのである。
もちろん、自分自身がそのように確信するためには、相手方のいくつかの行動が必要なのかもしれない(たとえば、やたらとかまってくる、話しかけると笑顔などなど)。
だが、これも程度の話で、これらの行動がなくても「友情」を確信できるのであれば「友情」はある。
この話を「恋愛」に置き換えると、もう究極ストーカーを全肯定することになってしまいかねないが、、、まあそうなる。
ストーカーさんの本質的問題は、その人との間に「恋愛」を感じていることではなく、「恋愛」の発露としての行動が相手を傷つけていることにある。
自分自身「恋愛」を感じていても、その想いを秘めて、その人が困ったときに助けるだけの「恋愛」の発露ならいんじゃないかなって割りと真面目に考えている。ストーカーさんは、自分の「恋愛」の形が異質なのに、「恋愛」の際に求める行動がテンプレという矛盾を抱えているから苦しくなるんだよ。
「俺は通常の恋愛を超越した」
と思って新しい「恋愛」の形をつくればもっと幸せを感じることは増えるよ。
と、色々言ったけど、
「友情」は、自分が相手に友情を感じたら成立する。
としておきたい。
※長くなりすぎたし、稚拙な議論だけど、割とやまだはいつもこんなことを考えていますw
2 短期的効果
さて、ようやく本題に入るけど、「友情」の短期的効果は、ずばり、
新たな機会の創出
である。そしてこれはほんとに多様である。
たとえば、
友達が誘ってくれた花見があったから運命の出会いがあったり、
友達がサッカーやってたからサッカーにはまったり、
友達が住んでいたからシェアハウス(ソーシャルアパートメント)でより多くの友達ができたり、
友達が困ってたからベンチャー企業に入って上場(IPO)経験できたり、
友達が先生をやっていたから大学・高専で教えることが出来たり、
友達が勧めてくれたからきりくちぶろぐはじめられたり、
友達が活動してたから地元に戻ってきたり、
友達が官僚やってたからシン・ゴジラおもしろかったり、
友達が映画撮ってたから撮影現場に行けたり、
等々ホント様々。
上記なんてほんと一例で、自分を形作っている多くの要素はこうやって「友情」からもたらされた。
これをもし友達なく達成しようと思ったら本当に大変だ。
というか、今の俺には正直思いつかない。
どうやればいいんだ?
これらの新たな機会を手に入れるための手段はほんとにあんのか。
過去偶発的に打っておいた友情という「点」は、今こうして色んな形で僕を作っている。
「全部つながっていたんだ!」
なんていうつもりはなく、それぞれの「点」が勝手に育ってやまだを支えてくれているイメージ。それらの「点」がなかったら俺は今の俺じゃないし、きっと物凄くしょぼいんだろうなとも思う。
こういうの金銭にカウントするの厳密には出来ないんだけど、上記の中で明確に評価されてる事柄だけ拾っても、
「1友情」=1億円
くらいの価値はあるだろうね。
30年程度しか生きていない現時点の俺でさえこのくらいの価値が既に返ってきていることから考えると、「友情」の投資対効果(ROI)は異常だ。
まだまだ大きくなるぞこれは。
3 長期的効果
ということで、「友情」の長期的効果だ。
短期的効果だけでも十分投資の価値はあるだろうけど、ここに長期的効果まで加わることとなる。やばい。
では、もったいぶらず「友情」の長期的効果をいうと、それは
居場所
である。
30年程度しか生きていない俺が人生の諸先輩方にこういうことをいうのもなんだが、結局人間はいつか老いて死ぬ。
過去にどれだけ凄いことした人も、どれだけ失敗した人も、どれだけ楽しんだ人も、老いて死ぬのは自明だ。
そんな老いた未来、自分が手にしているものはなんだろうか。
お金?
いやいや、これがしょぼいことなんて今の俺らにだってわかる。
体験/経験?
うん、これは一定その通り。でもその体験/経験をどうするの?
誰かに共有するんでしょ?
その誰かって?
家族?
もちろんそう。だけどそれだけじゃないでしょ?
そう 友人
自分の中のなにかを共有して、友人の中のなにかを共有される。
そうして生まれるのが自分たちだけの「居場所」
ちょっと考えてみてよ、今の俺らでさえ、小中高の同級生といるときの居心地良さは異常だ。
大学以降に知り合った、ちょっと格好つけないといけない関係とは別に、完全に素でわがままに言いたいことを言い合って、それでも居心地いい「居場所」。
これらは歳を取れば取るだけ、広がってきて今では大学の同期や社会人初期に知り合った友達にも同じように感じてきている。
きっと10年後には、今「友情」を感じる人達もそのような「居場所」になっていくんだろう。楽しみだ。
これは自分が老いた時のことを考えろって言ってるんじゃない。
未来を今の充実のために使えって言ってる。
未来にそんな楽しいことがあるかもと思えば、今の友情もっと楽しめるだろ?
4 投資方法
「友情」の投資対効果(ROI)の良さがわかってもらえたと思う。
では、どのようにしたら「友情」に投資できるのだろうか。
「こいつと仲良くしておけば、将来得するはず」
と思って、時間やエネルギーを使うことで「友情」に投資できるのだろうか。
答えは「否」である。
なぜなら、思い出してほしい、
「友情」は、自分が相手に友情を感じたら成立する
のである。
とすれば、自分が「将来得するかも」と思って仲良くしたとして、その相手に「友情」を確信できるのだろうか。いや、できない。
そんな邪な気持ちで遊んで、付き合って、そいつを友達と呼べる?
自分の中で「利用価値のある人間」にそいつを置くだけ。
そんなん「友情」じゃないというのは、自分自身が一番良くわかるだろう。
ではどうする?
それは、そいつに友情を感じるように接すること。
自分なりのやり方があると思う。
それは、
優先的に時間を使うことなのかもしれないし、
何かを犠牲にしてそいつに尽くすことなのかもしれないし、
一緒に何かをやることかもしれない。
なんでもいい。自分がそのやり方が「友情」を感じるなら。
トートロジーにように感じるかもしれないが、そうするしか方法ないんだから、仕方ない。それを精一杯楽しんでやれば、「友情」に投資していることになる。
あとは、それが勝手に最大化されると信じておけばいい。
楽しみだろ?
5 おわりに
かなり自由に、書き殴ったけど、割と気にいった帰結にたどり着いた。
書き始めた際はどこに行くか不明で怖かったけどw
是非、今の自分が誰との「友情」で出来ているか書き出してみてほしい。
思わぬ発見も多いことかと。
ではでは、おあとがよろしいようで。