競争主義的町おこしの限界 -地域の本当の使い方

 

岡山県津山市に戻ってきて、

 

「岡山をいい街にしたい!」

 

とか

 

「鳥取には負けたくない!」

 

とか

 

「観光客を増やし移住者を増やす!」

とか言ってる人に多く会ってきた。

そして会うたびにめちゃくちゃ違和感を感じた。

有り体に言えば、苛ついてきた。

 

 

ホント自分でも理由がわかんなかったんだけど、最近ようやっと腑に落ちたので、書き殴ってみたい。

結局、上記みたいな「街を良くしたい」という考え方は、比較、競争の理論で、自分たちが良くなるために他者を貶めることも辞さないことになりうる。

 

移住者なんてほんとわかりやすい例で、昔は

 

東京 vs. 地方

 

 

で取り合っていたのが、今では

 

地方 vs. 地方

 

 

での取り合いですよ。

意味ある?これ。

 

結局少子化になって、日本全体の人口が減っているんだから、各地方の人数も減るのは当然ちゃ当然。

その問題を解決することなく、UターンやIターンで移住者をどうにかしようと思っているのは、「自分たちが良ければ他の人が傷ついてもいい」と考えているんだよね。

表立っては言わないだけで。

 

 

 

そーじゃないでしょ。

 

結論からさっさというと、俺は

「津山を良くしたい」

んじゃなくて、

「津山のお陰で、友達や日本全体や世界が幸せならいーなー」

 

 

って考えている。
そういう自分の大切な人のためのフィールドとして「津山」がある。

なんでぶっちゃけると、津山が良くなったとしても誰かが不幸になるなら

「津山なんてなくなってしまえ」

とさえ思っている。

はじめは、オリンピックのとき日本を応援するように、甲子園のとき地元を応援するように、最小の所属単位として津山を大切に思ってたのかと思ったんだけど、どうもそうではないみたいだ。

 

10万人都市という生活面では過不足ない地方都市で、しかも元々の友人知人がそこにはいて、さらに「一緒にやろう!」と言ってくれる仲間がいる。

 

そういう街を使って、俺は自分の大切なものを守っていきたいと思った。

 

たとえば、人が減るのが嫌なら、他地方と人を取り合うんじゃなくて「津山」という街を使って少子化対策すればいい。

誰もが子供を生みたくなる街、産んだ子供と一緒に育っていきたい街、なにかあってもどうにかなる街を目指せばいい。

 

その結果、出生率3.0くらいになったらそのやり方を他の街にも教えてあげればいい。

ほら、そしたら日本全国の少子化も解決だ。

こんなふうに「津山」を使って日本の、世界の課題を解決していけばいい。

 

 

 

これは、津山の人たちを蔑ろにすることなのだろうか。

 

いや、それは絶対に違う。

 

津山にいる人たちを貶めて何かを成したいのではない。

結局これは、「街」というのはなんなんだろうか、という問に行き着く。

場所、箱物のことを「街」と呼んでるんじゃないんよね。

 

「街」とは「そこに住む人たち」のこと

 

 

10万人が住む地方都市

この「街」の人達が

 

「あれ?もしかして俺ら幸せじゃね?」

 

と思えるように「津山」を利用していけばいい。

「津山」の人たちが幸せで幸せでたまんないって状態になって、それが周りにも波及していくように「津山」を使うことが俺がやりたいこと。

 

ようやくなんとなくだけどわかってきた。

 

ということで、そういう視点で活動加速していきます。おもしろく見守っていただけたらと。

 

おあとがよろしいようで。

 

ABOUTこの記事をかいた人

conote inc. CEO / 弁護士1年→アカツキIPO1.5年→西粟倉村1.5年で辞める / 「人生でもっと遊ぼう」と決意→日に日に楽しくなる→「あ、これもありなんだ!」みたいな発見を日々発信 / 元高専 / "小難しく考えて、シンプルに生きる" / HUNTER×HUNTERふりーく。