「情報」とはなんであろうか。
一般に使われる「情報」という言葉は、実はいくつか複数の意味を持っているのかもしれない。
1 質の高い情報
質の高い情報とは、主に先人たちの知恵。
先人たちが練磨し、仮説検証の上たどり着いた上澄み部分。
到底1個人ではたどり着けないような境地にある、巨人の肩の上の人の肩の上。
たとえば、哲学の世界、経済の世界、政治の世界、ビジネスの世界、それぞれの世界について同時代の洗練、時代の選別がなされたものたち。
幸運なことに、現代ではこれらの多くに書籍でアクセスできる。
一方不幸なことに、これらの情報は誰でもアクセスできる。
図で表すとこの部分になる。
2 希少な情報
希少な情報とは、一個人が体感した経験そのもの。
どこにも代わりのものはない。
唯一無二。
たとえば、山の奥にある未使用な広いスペースの発見、子供が生まれた際の味わったことのない感覚、特定の地域で感じる厳かな雰囲気、自分の感受性をMAXにして出会ったものたち。
幸運なことに、これらは行動によってアクセスできる。
一方不幸なことに、これのみではこれらの情報は個人的な価値以外持たない。
図で表すとこの部分になる。
価値ある情報
これら2つの「情報」は、それのみを持って価値を提供することはない。
「質の高い情報」は誰でも手に入れることができ、「希少な情報」は自己を超えない。
そのため、
「質の高い情報」は、
のように、レア度を
「希少な情報」は、
のように質を高めていく必要がある。
そのため、長く言われ続けている
「書を読め!!」
と
「書を捨てろ!!」
は一見矛盾するように見えて、
前者のアドバイスは、「情報の質」を高めるために、
後者のアドバイスは、「情報の希少さ」を高めるため
に発せられていて、共に有益である。
まさに、
二律背反の高次元での融合
といえる。
「質の高い情報」を持っている人は、往々にして「物を知っている」と思いがちである。
また一方で「希少な情報」を持っている人は、「物を知らない」と思いがちである。
これらは本当はそれぞれ種類の違う「情報」を持っているだけ。
質 × 希少さ
が行われたときに初めて、真に価値のあるものが生まれるのかもしれない。
「本ばっか読まず、外に出な?」
「リア充生活ばっかじゃなく、本読みな?」
このどっちかが響いたら、そのどちらかをやってみてはどうだろうか。
それが今のあなたに足りないほうだから。
そんな感じで、おあとがよろしいようで。
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