ブログなんて書いていると、「炎上」って言葉がよく目につくようになる。
でも、基本的には縁のない話だし、
炎上の名手でもあるイケダハヤトさんは、
世にいう「炎上」というのは、「池に石を投げ込めば波紋が広がる」ような、自然現象レベルの話として捉えるといい。小さな石でも、雑魚は大事件かのごとく騒ぐ。で、すぐに忘れてまた怠惰に池の中で眠る。また石が来たら、また騒ぐ。また眠る。小物たちは、その繰り返しから抜け出せない。
— イケダハヤト (@IHayato) 2017年2月3日
と言ったり、
キングコング西野さんも
と言ったりと、あたかも炎上は自分という気球をより高く上昇させるための熱源に過ぎないよう思っていました。
それに、炎上のまとめとかみると、大体反論というか意見というかは暇人のたわごとレベルであり、
「あ、この程度のことしか言われないなら、まじどーでもいいな。暇人おつwww」
とか、思ってましたよ。。
時は流れ、僕のような個人の弱小ブログでもたまに、かなりの数の人にご覧いただくことがありました。
このあたりは、中々どうしてそこそこでした。
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「弁護士になって就職できないとか給料安いとかってバカなの?」と思ってましたよ。
んでだ。いわゆる「炎上」に近いことにもなりました(もちろん規模は小さいが)。
狙いとは大きく違って。
・・・「炎上」って精神的にくるね。。
今までいかに周りに恵まれてたかよく分かります。
むき出しの敵意はただただ人を痛める。
まず何が凄いって、中身を読んでいないのがすごい。
タイトルで「きっとこういう内容に違いない」と攻撃してくる。
次に、無礼なのもすごい。
会ったこともない、信頼関係0の人から罵詈雑言ぶつけられてもどうせいっちゅうねん。
さらに、俺への理解が凄い。
「こんなこと書くやつはきっとこんなやつだ」
・・・まじか。おまえすごいな。俺自身俺のこといまいちわかっていないのに、その断定はまじで凄いわ。嫌味じゃなく。
ほかにも、マウントとってくる姿勢がすごい。
何かを得ようとして情報に当たるのではなく、自分の優位性を感じるために情報にあたってる。
人の数だけ意見や考えがあるのは凄く良いことだと思うし、そういう多様性はめちゃくちゃ大切。ただ、多様であることは、他を排斥することではなくて、一旦味をつけず飲み込むことかなと思う。
そのうえで、飲み込んだナニカと元々の自分のナニカが合体して、より高次元の考えに至ったりする。それが多様性の楽しみ方の一つ。
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炎上中、盲目的にバトってくる人は、その部分損しているんじゃないかなーとね。
いやーしかしあれだ、僕は本当に周りの人に恵まれている。
拙いこと言ったり、明らかに今考えると保身のためだけの行動してたりするときに、
「俺が正しいんだからこうしろ!」
ではなく、どういう理由でやまだがそのような行動に出たかを辛抱強く聞き出してくれて、さらに、その上でやまだが自らより良い行動に気付くような示唆をくれる。
答えはくれない。
だからその人が凄い人だとはすぐには気付かない。
むしろ
「あれ、俺自分でこんな考えまでたどり着いてる!すげーおれ!」
とかなっている。
他にも間違っているのわかってただ寄り添ってくれる人や、僕を傷つけないように丁寧に言葉を選んで対面してくれる人。
ああああ、感謝しかない。
まじでありがとう。
つまり結局何がいいたいかというと、「炎上」でわかったのは、自分の周りの人への感謝の気持ちだった、ということ。
そう考えると、「炎上」させてくれた人たちにも感謝できるよね。
ということで、おあとがよろしいようで。