前回の投稿にちょっとネガティブなリプが付いて凹んでいるやまだです、みなさまどうもこんにちは。
それと共に季節の変わり目、ちょっと調子を崩してしまって、思考はネガティブ方面に引っ張られ気味。
ただ、それを認識できていることから今の僕の精神状態は割と健全だなーなどと意味のない思考のループを楽しんでいることろです。みなさまは、体調いかがですか?元気なら嬉しいです。
さて、今回こんな始め方なのは、なんとなく昔のブログは誰々が日常のワンシーンを独自に切り取って好き勝手に書いていたことを思い出したから。
なんか懐かしくないですか?
こういうの。
有益な新しい情報や見たこともない世界を見せてくれるような投稿はとっても素敵なんですが、たまには意味のあまりない文章を読みたいことも僕には結構あってですね。。。
ただただ、その文体だけを楽しんだり、浮かんでくるイメージだけを感じたりと。
そんなことに浸りたいとき、僕は、太宰治と辻村深月とLandreaallを読みます。
この三者が意味もなにもないという気は全然ないんですが、独自の世界観に勝手に招き入れてくれるので、その読書時間、僕は他の目的を持ちません。
この「他に目的がない状態」というのがなんとも居心地がいい。
その他の読書やインプットというものは、何かしらのアウトプットを目的として行うため、ただ読むという状態ではないんですよね。これは昔からの癖で、たしかにアウトプットのためには効率のいいインプット手法ではあるんですが、中々没頭というものからは遠い状態であったりします。
いや、違うな、なんか難しく言ってますが、単純に「楽しめてない」ということに尽きますね。
なにか「目的」を持つことは、今を充実させるためにすごくいいことだと思います。
だけど、それと同じくらい今を目的にすることもいいことなんだろうなーと感じてます。
好きなことにハマりづらい僕らだからこそ、「これ意味ないなー」と思いながらでもやっちゃうことは多分大切なことで、それをもっと増やしていってもいいのかもしれません。
ほら、この文章全体の意味の無さたるやw
だけどもしこれを思わず読んでしまった人は、「まじ意味ないなこれw」という感想と妙にスッキリした気持ちになるんじゃないでしょうか?
いや、ならないか?
それさえもわからないというので今回はいいのかもしれません。
それでは、ご自愛をば。
おあとがよろしいようで。