人を「下」にみるのはだめだけど、人を「上」にみるのもだめなんじゃないだろうか?

昔から、マウント取ってくる人がすーっっごくキライで、「そんなやつには絶対なってやるものか!」と、年が若かったり、違う分野からきて業界に詳しくない人に対して、自分なりに精一杯そうならないように接してきた。

というか、そもそも「若い」「知らない」という一点で、自分より何かが劣っているというのは完全に勘違いだから、改めてこんな風に言う必要もないんだけどね。

ただ、そのかいもあってか、年下の友人も多く、非常に楽しい人生となっている。
結婚式ラッシュが終わらないというめでたいけど苦しいことはあるw

 

 

さて、そんなふうに自分で気に入ってる人生ならいいじゃねーかという中、これを書いているのはちょっとした発見があったからで、時間があったら聞いてほしい。

 

話は、僕が尊敬する経営者や有名人に会ったときのことだ。

僕の持っている情報や、体験していることの中でレアなものもあって、その話は非常に盛り上がった。もちろん相手の話も面白くて、「この時間、めっちゃいい。。。」ってなってたんですが、ふとした時に

 

 

「いやー僕なんて」

 

って言ってしまった。

言い訳させてもらうと、卑屈になっているわけじゃなくて、目の前の人がやってきたことや、洞察の深さなどに対しての深い敬意があったからこそ、それと比較してそういう言葉が出たのだと思う。

そのとき、相手が少し寂しそうな目をした。

 

 

僕が、僕自身のことを低く見ることは別に好きにすればいい。
だけど、「僕なんて」と相手の前で言うことは、目の前の人を、僕が一番キライなマウントを取る人に強制的に置いてしまうことになるのではないだろうか?

相手がどんな気持ちでそれを言ったかにかかわらず、自ら望んでその人より「下」であるという表明をすることは、もしかしたらものすごく失礼なことなんじゃないだろうか?

 

僕は、一般的に「下」に見られがちな人に対しては、そう扱わないように心がけていたにもかかわらず、一般的に「上」に見られがちな人に対しては、そのように扱っていたのではないか。

それはつまり、自分の中にまだ「上下」があったということ。

そんな気づきを得ました。

 

その時から、「存在自体に上下はない」ということが無意識にもしっかりと腹落ちしたのか、今までだとビビって遠慮したり、そもそも出会う機会さえないような人たちと沢山会って仲良くなることが出来ました。

自分の無意識が創り出してる世界って普段中々気づかないけど、そこが変わるだけで目の前のものも変わったりしておもしろいですね。

そんなひとりごとでした。
おあとがよろしいようで。

ABOUTこの記事をかいた人

conote inc. CEO / 弁護士1年→アカツキIPO1.5年→西粟倉村1.5年で辞める / 「人生でもっと遊ぼう」と決意→日に日に楽しくなる→「あ、これもありなんだ!」みたいな発見を日々発信 / 元高専 / "小難しく考えて、シンプルに生きる" / HUNTER×HUNTERふりーく。